個人的に新しい何かを新しい事を始めたいとなりやすい性分なわけだが、最近新しいものを始めることに対して、気後れしている自分がいる。
- 時間が確保できないのではないか?
- 継続できないのではないか?
- たいして上達しないのではないか?
- 上達しても、上には上がいて、絶望してしまうのではないか?
みたいな気持ちになって、時間の無駄になってしまうのを恐れている。
新しいことに挑戦することは、自分にとって良いことだと思うし、やったほうが良いことは間違えないのだけれども、どうにも踏ん切りがつかない場合がある。
0から何かをやると言うのは、コストが高いし、それであればもっと楽な何かを取り組みたいと思う自分もいたりする。
アメリカでは汗を書いて一生懸命やることが美徳とされるような仕事の価値観が崩壊しているらしい。ふと、自分を引きつける楽な何かは、そのアメリカの感覚に近いと思った。
社会の価値観が、以下に仕事以外のライフイベントにもフォーカスする事に目が向いている感じがする。そのために、手を抜くわけではないのだけれども、そこそこの仕事をする感じ。自分もその価値観を少しは持っている、というか持ち始めた。
☺☺☺☺
新しいことに対して腰が重くなってしまったのはのは良くも悪くも、知ってしまったからではないかと感じている。様々な事を知ってきているおかげで、物事に取り組むのがどれくらい大変かを考えられてしまう。知は時として自分を守るものになり、また時として足かせになる。
だが、自分としてはやっぱり何かを一生懸命に、例えそれが非効率で合理的に見えなくても、挑戦できている人を尊敬できる自分でいたい。自分もできるならそちら側でいたいと思う。(非効率なやり方、的を得ていない様な行動を良いと思っているわけではない。)
まぁ、何を書きたいかというと、自分は挑戦はし続ける人間でありたい。大きな挑戦はでなくても、小さな挑戦でいいので。楽をすることは悪ではないし、むしろ推奨するような考えはもっている。しかし、楽でない事が理由で、自分に足かせをはめることはやめたい。
結果を出すことは重要だ。また、結果をすこし出せたとしても、またその先に見えた大海に絶望して、足かせを増やしてしまうときもある。しかし自分はそれでも大海に飛び込んでいきたい。海の先にある何かを掴もうとするプロセスが人生を豊かにしていると信じたいから。